Cart

お客様のカートに商品はありません

牧草酪農にとらわれず、牛と関わりながら辿りついた酪農とは?自然と共存する『宮地牧場』の取り組み

    『CHEESE WONDER』のチーズケーキには、ユートピアアグリカルチャーの農場で育てた放牧乳が使われています。「放牧酪農」といえば牛がのびのびと草を食み、のしのしと歩く牧歌的な風景が浮かぶのではないでしょうか。

    牛乳のパッケージに描かれるような牧場は、実はとても少なく、酪農盛んな北海道でもわずかな農家さんが取り組まれています。さらに、『宮地牧場』のように牧草のエサのみで飼育する農家さんはさらに絞られます。

    ユートピアアグリカルチャーの牧場。エサは牧草と飼料を与えています。

    放牧酪農とひとくくりに言っても、餌や育て方は農家さんごとに「こんなに違うのか」と驚くことばかり。29歳の時に一念発起し、北海道に移り住み、酪農ヘルパーを始めた宮地さん一家。宮地さんは入植した頃、「牛はどこにいるんだろう」と不思議に感じたそう。

    帯広から車で30分ほど、日高山脈の麓に位置する清水町にある『宮地牧場』。ここでは、のびのびと生活する放牧のなかでも、牧草だけで牛を育てるグラスフェッドでの酪農を実践されています。

    試行錯誤を重ね、独自の「バランス酪農」に取り組みはじめてから、牛乳はおどろくほど「すっきり、おいしい、体にスーッと染み渡るような牛乳」になったそう。これが子牛が飲んでいる、本当の牛乳。

    バランス酪農を通して自然との共存を目指すと語る宮地さん。現在の酪農に至るまでには様々な葛藤がありました。『宮地牧場』での取り組みをご紹介するとともに、日本の酪農産業についてお話を伺います。

    29歳でサラリーマンから酪農家へ転身。放牧酪農への憧れと現実

    ——宮地さんが酪農家になったきっかけは何ですか。

    宮地:私は大学卒業後、6年間ほどサラリーマンとして勤めていました。田舎が高知ということもあって、週末は夫婦で野菜を育てたり、趣味で農家をしていました。新婚旅行で訪れたニュージーランドで見た、羊や牛が大地でのびのびと草を食べている光景も忘れられませんでした。その頃から「いつか自分たちも牛を飼いながら生活できたら最高だね」と話していました。

    29歳のある時、サラリーマンを続けても夢は叶わないよな、と思い立って。家族で北海道への移住を決意しました。それから十勝の中札内(なかさつない)村で酪農ヘルパーを始めたのが、1991年の5月頃でしたね。

    ——29歳でサラリーマンからの転身、大きな転機ですね。

    宮地:みなさんにも夢があって、熱意だけで新しい環境に飛び込んでいくことはありませんか?自分たち夫婦にとってそれが酪農だったんです。

    ——そう言われると、すごく親近感がわきます。宮地牧場はどのように始められましたか?

    宮地:酪農ヘルパーを始めて半年も経たないうちに、酪農家の先輩から「近くで離農する人がいるから入らない?」と声をかけられて。まだまだ素人ですし、正直うまく経営ができる自信はなかったです。とはいえ自分はもう30歳だし、挑戦するなら早いほうがいい。そして『宮地牧場』は始まりました。

    まずは40ヘクタールの牧場で45頭ほど入れて、この頃はまだ完全な牧草だけの放牧酪農ではありませんでした。それでも牧場の管理から牛のお世話まで全部やるとなると、もう本当に大変で。

    宮地:高知にいた頃生まれた長女がまだ2歳半の頃でしたが、4人の子どもを育てながら朝から晩まで頑張っても、24時までに眠れる日はほとんどありません。玄関先で腰を下ろして一息ついてたら、そのまま寝てしまうこともしばしば。あっという間に月日は流れて、牛も自分たちも忙しい生活に慣れて、牧場の経営も順調でした。

    北海道の平均的な乳量は年間9,000キロから1万キロと言われていますが、当時の宮地牧場はおよそ8,000キロ。牧草に加えて配合飼料を与えていたため、平均に比べると少ないですが乳量はそれなりにありました。

    目指したのは牛と暮らし、自然と共存する酪農

    宮地:入植してから4~5年経った頃やっと考える余裕も出てきて、だんだん自分たちのやり方に疑問を持ち始めました。

    ——何かきっかけがあったのでしょうか。

    宮地:子牛が立て続けに亡くなってしまったんです。獣医に診てもらって薬を処方してもらったものの、薬が効かなくて、強い薬を与えると薬に負けて死んでしまって……。

    酪農家の経営にマイナス要素となるのが、乳房炎と繁殖障害の二大疾病と言われています。抗生物質を使うと出荷できなくなるため、一般的には繁殖障害があればホルモン剤を、乳房炎になれば薬を与えます。牛が一頭でも病気になると、経営的なダメージは大きいです。

    子牛たちが立て続けに亡くなって、自分のやり方がひょっとして間違っていたのかもしれないと思い始めました。振り返ってみると確かに放牧をしていますが、病気になれば薬も与えているし、輸入原料の配合飼料も与えている。他にも牛にストレスがかかっていたかもしれない。夫婦でこんな気持ちのまま続けられない、もう辞めたほうがいいのかも、と悩みましたね。

    宮地:自分たちが目指していたのは、当たり前に飼うと言いますか、牛にストレスをかけず自然と一緒に暮らしていくような酪農でした。よく「牛は経済動物だから」と聞きますが、自分はそうは思えませんでした。初心に返ったタイミングで各方面の情報収集をしていたときに、農業におけるバランス改善という考え方に出会います。

    ——バランスですか?

    宮地:農薬や化学肥料など自然界にないものを投入して、人間の都合で農作物を操作して取り続けるといずれ全体のバランスを崩す、といったことを色々勉強しまして。

    ——農業ではオーガニックや無農薬栽培に取り組んでいる農家さんも多くいらっしゃいますね。

    宮地:はい。畑に限らず、酪農で実践している方はいないと聞いて、挑戦してみようと思ったんです。その方法を学術的な根拠をもとに説明するのは私には難しいのですが…。自分なりに「自然と共存する」ことをテーマにバランス酪農への挑戦が始まりました。

    ——宮地牧場で具体的に大きく変えたことは何ですか?

    宮地:まず牛への薬剤の投与を辞めました。牛も人間みたいに時々熱を出しますが、何日かすると薬がなくても自力で治していくんですよ。なかには自力で治せない牛もいます。薬に負けて亡くした経験がありましたから、助けてあげたい気持ちとの葛藤は絶えませんでした。配合飼料もやめたので、乳量も半分以下に減りました。

    育て方を変えたからといって、牛の体質まですぐ切り替わるわけではありません。とても辛かったですが、牛たちも戦っています。

    ——宮地さんが牛を信じて取り組まれていたのが伝わります。

    宮地:牛の体質は薬だけでなく、エサをグラスフェッド、つまり牧草だけに変えたことも大きかったと思います。もちろん牧草は化学肥料を使わず、堆肥を使って育てています。2020年の春から初めて、11月には牧草以外の飼料をやめてようやく完全なグラスフェッドになりました。

    ——宮地さんの取り組みがやっと実を結んだんですね。エサを牧草に変えると、牛乳の味や乳量は変わるのでしょううか?

    宮地:だんだん味は変わっていきます。牛乳を飲んだ方からは「ものすごくすっきりしてておいしい」という感想をいただきます。自分でもまるで水を飲んでるみたいに、スーッと体の中に染み入っていく感覚があります。

    バターやフロマージュブランというフレッシュタイプのチーズも作っていますが、皆さん一様にあっさりしてて、でもうまいと言ってくれます。本当は牛乳で飲んでもらうのが一番なのですが、自然な牛乳の賞味期限は1週間ほど。生産体制の設備投資などハードルが高く、かつ北海道以外の販路が必要となると、まだ牛乳を届けるのは難しいです。これからの課題ですね。

    宮地:乳量はかなり減りました。配合飼料やめたタイミングでがくんと落ちましたね。北海道平均で年間9,000キロから1万キロとお伝えしましたが、今はグラスフェッドなので乳量は年間2,000から3,000キロまで減っています。

    ――牛にはどのような変化があったのですか?

    宮地:配合飼料など栄養価の高い飼料を与えていると、牛の体質はなるべくお乳を出そうとします。ただ、与えすぎると内臓に負担がかかり、短命となります。うちの場合はエサを牧草だけに変えるとだんだん痩せていって、そのまま持ちこたえられない牛もいました。

    ――乳量もかなり減って、時には牛を失うこともあって、経営面でも精神的にも大変な時期だったのですね。

    宮地:それはもう無我夢中でしたから、大変だったという記憶も無いんですよ。過渡期は牛も戦っていますし、精神的に辛いことは多かったです。それまで順調だった経営も、バランス酪農に変えてからは貯金も底をつきそうになるほど。お金の工面をしながら何とか今までやってきましたね。

    それでも、牛のしんどさに比べたら、自分たちは何とかなるだろうとも思いました。子供たちには贅沢させられなかったし、家族の協力には感謝しかありません。

    お産は自然分娩。生まれた子牛は季節や状態を見て放牧されています。

    これからの酪農を担う人と、シェアミルカー制度の可能性。

    ——宮地さんはバランス酪農という形で自然との共存を実践をされていらっしゃいます。日本の酪農に対して感じていることを聞いてみたいです。

    宮地:大規模経営の酪農は食料提供といった役割を担っていますし、これまで経験や技術あってこそ今の酪農が成り立っています。全部の酪農家がいっぺんに自然な放牧にするのは現実的ではありません。

    自分も含め、酪農家はそれぞれが「より良い」と考えた方法で日々牛を育て、経営しています。同業者に対して意識を変えてもらうのは、酪農に限らずとても難しいことです。私としては、酪農が今より自然と牛と共存するような、もう少し牛にストレスのかからない酪農に向かってくれたらいいな思います。

    ——宮地さんが今の酪農をしていて、よかったと思う瞬間はありますか?

    宮地:大変さも楽しさも、身をもって感じました。私にとって牛は一生活を共にしている家族であり仲間です。一緒に暮らす牛の姿を見ていると、本当に今のやり方に変えてよかったと感じます。

    ——もし酪農を始めるとしたら、どんな能力がある人が良いと思いますか?

    宮地:物事をよく観察する方はあっていると思いますよ。牛の様子だけでなく、機械も使うのでちょっとした違和感に気づけるのは大切です。

    あとは新規就農するときのネックとしては、やはり借入金でしょうか。5年間頑張って、安定した経営ができる地盤ができるまでが大変かもしれません。本当は、誰でも「酪農をやってみたい!」という熱意さえあれば始められる制度があれば一番でいいですよね。

    ——ユートピアアグリカルチャーでは「シェアミルカー制度」を取り入れて、なるべく経営側は支援しながらも頑張れる人を集めていきたいなと思っています。

    宮地:「シェアミルカー制度」ですか?

    ——ユートピアアグリカルチャーではトラクターや牧舎といった設備と、スタッフなどの初期投資をオーナー(企業)が用意し、実際の牧場経営はミルカー(牧場主)が責任を持って運営していく方法を取り入れています。知識と経験があっても、初期の資金のない方や、国の規定で酪農経営、たとえば独立する場合は夫婦であることが条件等、自身の目指すかたちでの就農が難しいケースがあります。酪農大国であるニュージーランドでは盛んに用いられているそうです。

    記事:「美味しい牛乳は、いい土から」ユートピアアグリカルチャーの若き酪農家が挑戦する循環型酪農とは。 


    ——今日はありがとうございます。宮地さんがやって酪農は放牧酪農のなかでも特別なことだとしれました。

    宮地:自分は元々のあるべき姿に変えたいっていうのがあって。一番牛のすごいところは、草を食べて生きて、牛乳を作り、子牛を育てられることだと思います。私達の酪農が少しでも広がって、共感してくれる人が1人でも増えてくれたら嬉しいです。