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「農家の利益」と「気候変動対策」を両立させる、ある農業スタートアップの挑戦【The Regenerative Company:Indigo Ag】

    リジェネレイティブアグリカルチャーを牽引する世界各国の企業を紹介し、その実践の最前線を伝えていく連載「The Regenerative Company」が始まります。第一回は微生物とデジタル技術で化学薬品頼りの農業に変革を起こそうとしているアメリカのIndigo Agについて。

    本記事は、ユートピアアグリカルチャーが提供する、美味しさと情報を届ける定期便「GRAZE GATHERING」に同封される冊子「GG MAGAZINE」からの転載になります。

     

    2022年5月に始まった「GRAZE GATHERING」はリジェネレイティブな放牧の可能性を伝え、共に考えていく取り組みです。4週に1度、2,280円(+送料)でユートピアアグリカルチャーが育てた新鮮な素材(放牧牛乳800ml,放牧牛乳ヨーグルト800ml,平飼いの卵8個入×2パック)と、地球と動物と人のより良い環境作りを目指す活動の報告、リジェネレイティブアグリカルチャーに関するコンテンツ記事をお届けします。

     

    ▷GRAZE GATHERINGの詳細・お申し込みはこちらから

    https://www.utopiaagriculture.com/products/graze-gathering/

     

    世界が直面する2つの危機

     

    世界はいま、食料に関するふたつの大きな課題を抱えています。ひとつは人口の増加です。世界人口は2050年には97億人にもなると予測されており、人口増加と経済の発展により世界の食料需要量は2010年比で1.7倍にもなると言われています。

    もうひとつの問題は食料の生産性です。増える食料需要に応えるためには生産性の向上が求められますが、農業生産は気候変動の影響を受けやすいうえ、生産性を上げるために使われる殺虫剤や除草剤、殺菌剤、化学肥料のなかには人体や動物、土壌にとって有害なものもあります。

    このふたつの問題を解決し、地球の食料生産能力を向上させつつ持続可能な農業を実現するという目標をもって2014年に創業したのが、ボストンの農業スタートアップIndigo Agです。

    その始まりは、意外にも人間の微生物叢(マイクロバイオーム)の研究にありました。人間の腸や肌などにはさまざまな微生物の集合体である微生物叢が存在しています。これらの微生物叢は人間と共に進化し、私たちの健康の維持に一役買っていることは良く知られています

    例えば腸内に善玉菌を増やすために乳酸菌やビフィズス菌といったプロバイオティクスをとることも、こうした微生物の力を借りる方法の一つ。その一方、抗生物質によって腸内細菌が乱れると健康を損ねる原因になることもあります。それゆえ、抗生物質は医師の指導のもとでの適切な服用が必要となるのです。

    こうした人間と微生物叢の関係を追っていたIndigo Agの創業者たちは「現代の農作物も人間と同じなのではないか?」と考えました。人間の健康に有用な抗生物質が使い方を誤れば健康の害になるように、殺虫剤や除草剤、殺菌剤といった生産性を向上させるために生まれた技術が土壌や植物にとって有用な微生物まで意図せず取り除いてしまっている可能性があるのではないかというのです。この科学的な好奇心が、Indigo Agの創業のきっかけでした。

     

    植物のなかの「微生物」に注目

     

    「植物のなかにも微生物はいます。この微生物たちは宿主である植物を生かそうと何百年も進化してきました」と、創業者のひとりで現在同社の最高イノベーション責任者を務めるジェフリー・フォン・マルツァーンはMITで開催されたカンファレンスで話しています

    「ということは、植物の内部に住む微生物は農業の世界におけるあらゆる地形のあらゆる作物のあらゆるストレスに対して具体的なソリューションをもっているかもしれない。これが私たちの仮説でした」

    Indigo Agの前身であるFlagship VenturesおよびSymbiotaは、植物の中にある微生物の自然な構成を再現することを目指し、植物のサンプルを集め始めました。最初の数カ月でわかったのは、私たち人間がもつ微生物叢が一人ひとり違うのと同じように、植物の一つひとつもまた異なる微生物叢を持っているということです。

    そこで彼らは次に、特定のストレスを生き抜いた植物のサンプルを収集し始めました。例えば、日照りによってほとんどの植物が死滅した畑でひとつだけ生き延びた苗は、何か日照りを生き延びるヒントをもっているかもしれません。こうしてチームは世界中の700以上の植物種から36,000以上のサンプルを収集し、微生物に関する地球上で最大のデータ群を完成させました。

     

    収穫量を10%以上増加させる

     

    このデータを元に、IndigoAgは有益な微生物を用いた種子用のコーティングを開発。これによって植物を水不足や窒素不足、高温、塩分の多い土壌といったストレスへの耐久性を高め、病気や害虫に対する抵抗力も強化できるようになりました。同社が9つの作物を一定のストレス条件で育てたテストでは、どれも10%以上の収穫量増加がみられたといいます。

    これは農家にとって大きなイノベーションです。例えばトウモロコシ、大豆、小麦、綿花の世界での年間生産額は6,000億ドル以上であり、これらの作物の収穫量が10%増加すれば年間約600億ドルの価値が生まれると同社は言います。

    しかし、はじめのうちは農家にその効果を信じてもらえなかったとフォン・マルツァーンは振り返ります。そこで同社は衛星写真の色(収穫量が高いものは緑、枯れた作物が多い場合は茶色)と地上検証データによってその年の収穫量を予測する技術を開発し、自社技術を採用したテストフィールド(実証実験用の畑)のほうがそうでない畑に比べて成績がいいことを目で見えるかたちで証明したのです

    それでも農家たちは「テストフィールドでうまくいったからといって、自分の畑でもそうなるとは限らない」と納得しません。そこで同社は、実際に農家たちの畑で実験をさせてもらうことにします。環境を整え、作物の成長の経過までも見守るため、畑にはいくつものセンサーがつけられ、上空にはドローンが飛ばされました。

    こうした試みの末にできた「Indigo Research Partners(IRP)」は、同社が「世界最大の農業ラボ」を自称する巨大なデータ収集装置となり、畑から送られてくる1日当たり1兆件のデータを収集できるようになりました。

    さらにその後、同社は2017年度の米国のトウモロコシの収穫量を99%の精度で予測したスタートアップ・Tellus Labsを買収。データや衛星画像から作物の品質や収穫量を評価する独自の技術を生み出しました。

     

    農作物の「マーケットプレイス」がもたらした変革

     

    こうして膨大なデータを収集する技術を得たフォン・マルツァーンたち。そこで気づいたのは、畑の一つひとつがいかに違うかということ、そしてその違いを農家のメリットにできないかということでした。

    「地下水を使わない畑もあれば、農薬を使わない畑もあります。生産過程で排出される温室効果ガスの量も畑によって大きく違います。でも買い付けの次点ではほとんどが一緒くたにされてしまうのです」

    そうした作物は、どう育てられたかにかかわらず全て同じように扱われることがほとんど。つまり、コモディティ化されてしまうのです。しかし、バイヤーである企業や消費者のなかにはコモディティとして匿名化された作物ではなく、特定の生産方法でつくられた作物や特定の栄養素に富んだ作物を求めている人もいます。

    そこでIndigo Agは2018年、穀物を対象としたマーケットプレイス「Indigo Marketplace」(現Market+)を立ち上げました。このマーケットプレイスでは作物がタンパク質の含有量や製粉の品質、生産方法(有機か非有機かなど)などによって評価され、バイヤーは農家と直接価格交渉をしたうえで用途にあった商品を買い付けできます。一方の農家はIndigo経由で第三者機関である研究所で作物の評価を受け、それに対しどのくらいの値がつくのかがわかるようになることで収入を増やせるという仕組みです。

    これが、Indigo Agがディスラプティブ(業界破壊的)と言われる所以となりました。「作物がほぼ一律に扱われ、加工され、輸送される」という、産業革命以降ほぼ変わらず維持されてきた一連の流れを、Indigo Agはマーケットプレイスによって変えたのです。

     

    “農作物輸送のUber”

     

    さらに消費者の環境意識が高くなっているいまの時代、これは環境にとっても良い効果を与えます。環境負荷の低い作物の価値が高まれば、農家がより環境にやさしい高品質な農作物をつくるモチベーションになるからです。

    現在同社は農家と輸送業者を結ぶ“農作物輸送のUber”とも言えるサービス「Indigo Transfer」や、作物を質を損なわないように保管する特別なプログラムもローンチし、穀物が買い手の元に届くまでの品質をさらに強固に保証しようとしています。

    こうしたオプションを選択することにより、農家はさらに作物に付加価値をつけられるのです。なおプラットフォームの利用料は無料ですが、農家と買い手のマッチングやオプションのサービスには手数料がかかります

    農家がIndigo Agの微生物技術によって収穫量を増やし、Indigo Agのセンサーやドローン、衛星画像によって収穫量や質を追跡し、それをIndigo Marketplaceで売るというこの一連の流れは、産業革命から進化がなかった農業のありかたに大きな変革をもたらしました。

     

    農地への炭素貯留を支援

     

    Indigo Agの改革はそこでは終わりません。農業に深刻な影響を与える気候変動を、農業によって止めることはできないか? そう考えた同社は、2019年に農地への炭素貯留を推進するプログラム「Carbon」を始めました。

    これはリジェネレイティブアグリカルチャーの導入によって増加した炭素の貯留量を、Indigo Agが第三者認証付きのカーボンクレジットとして買い取り、二酸化炭素の排出量を相殺したい企業に販売する仕組みです。これにより、環境負荷が低い農業にかかる農家のコスト負担を軽減し、持続可能な農業へのシフトをしやすくしようというのです。

    ただし、Indigo Agが主張するこの制度の効果については疑問を呈する意見が出ていることも忘れてはなりません。同社は「全米の農地の炭素含有率が現在の1%から3%になれば、大気中の二酸化炭素を1兆トン削減したことになる」と主張しています。しかし、その主張の元となっている論文に対しては、植物が吸収できる二酸化炭素量を過大評価しているという意義が唱えられているのです

    吸収量については議論の余地があるものの(そして土壌が吸収すれば気候変動の問題が解決するわけでは決してないものの)、植物が炭素を吸収できることは紛れもない事実です。しかも、土壌中の炭素は土壌の質の改善にもつながります。炭素があることによって、土壌の構造が改善し、水や空気がよく浸透するようになり、畑が効果的に水を蓄えられるようになるのです。

    Indigo Agの再生農科学者であるトム・ロウラーはブログで次のように説明しています。「作物が水を必要とする生育期の後半の乾燥した時期に、より良いスポンジになってくれるのです」。さらに大雨や干ばつなどの影響を和らげることができる土壌をつくり出し、天候に対するレジリエンスをつけることにも繋がります。

    現在、Indigo Agが提供するCarbonプログラムはShopifyやBlue Bottle、The North Faceなどが利用しており、2022年には2019年から参加している267の農家、総面積330万エーカー分の炭素貯留に寄与しました。

    さらに、企業の環境意識の高まりもありカーボンクレジットの価格も上がるばかりです。これが、Indigo Agにとっての追い風となっています。

    気候変動がもたらす異常気象に苦しむことが多い農家にとっては、カーボンクレジットが新たな収入源になるというメリットもあると言います。「Indigo Agは私たちに土地と収入を改善する機会と支援を与えてくれました。さらにカーボンクレジット市場が拡大するにつれ、私たちの収入も増え続ける可能性があります」と、Carbonプログラムに参加した農家はIndigo Agのサイトで語っています。

    さまざまな技術やプログラムを提供しているIndigo Agですが、その一つひとつが農家の利益を第一に考えたものだと同社は発信しています。それは、気候変動対策と農家のビジネスの両方が回らなければ真の変化は生まれないという同社の信条からくるものです。

    「地球上のすべての人に十分な健康食を提供するためには、まず農家が利益を上げなければなりません。農業というビジネスが経済的に魅力的で、新しい農家を呼び込み、農業界を維持・拡大する必要があるわけなのです

     

     


    文・川鍋明日香

    ライター、編集者、翻訳者。雑誌編集部所属の後、2017年の渡独を機に独立。『WIRED』日本版や『VOGUE JAPAN』を始めとする様々なメディアで、テクノロジーからカルチャー、ビジネス、社会問題まで幅広いテーマについて取材・執筆している。最近家族のなかでビーガン餃子が流行中。