フードテックが導く未来に、託される価値はビジョン
フードテックと呼ばれる、フードとテクノロジーを融合させた食分野での新しい技術が注目されています。食の進化史におけるお菓子の存在や、すでに起こりつつあるおいしさの変数の変化を、ユートピアアグリカルチャーにて取材。お話を聞いたのは、分子調理学の他フードテックの領域に精通する石川伸一先生です。
著書に分子調理の日本食、「食べること」の進化史など他多数を記した、宮城大学食産業学群教授の石川伸一さんは、食をサイエンスやエンジニアリングとクロスさせて研究をされています。食の先端領域の視点から、ユートピアアグリカルチャーのお菓子はどのような価値を見出すことができるのか。
プロフィール:石川 伸一さん
専門は分子調理学、関心は食の未来学。「食」をサイエンス、アート、デザイン、エンジニアリングとクロスさせて研究。著書に、分子調理の日本食、「食べること」の進化史、料理と科学のおいしい出会い、監修本に、食の科学~美食を求める人類の旅、 フードペアリング大全 など。
略歴:東北大学農学部卒業。東北大学大学院農学研究科修了。日本学術振興会特別研究員、北里大学助手・講師、カナダ・ゲルフ大学客員研究員(日本学術振興会海外特別研究員)などを経て、宮城大学食産業学群教授。
――改めて先生の研究内容を教えてください。
石川:私は食品学、調理学の「なぜ」を分子レベルで調べる研究をしています。分子調理学や分子食品学と呼ばれ、調理現象や食品構造をより細かいレベルで見る研究をしています。
ここ数年は食とテクノロジーを組み合わせた、フードテックの領域での研究にも取り組んでいます。3Dフードプリンターや調理ロボットの開発や、培養肉や代替食品などにも関心を寄せています。
特に、国のプロジェクトの一環として関わる3Dフードプリンターの研究では、人の手では作れないような食感の料理やお菓子や、食品ロスをなくすためのアプローチを試みています。廃棄された食品をカートリッジ化し、インクのように無駄なく食品を活用するなど様々な可能性を模索しています。2025年の大阪万博では一般の方にもお披露目できるようプロジェクトが進行しています。
産学連携のプロジェクト「スシシンギュラリティ」では3Dプリンターの他にも様々なフードプリンターや技術を用いて寿司を再構築 公式サイト:https://www.open-meals.com/sushisingularity/
――2019年から2020年にかけてフードテック関連の書籍も多く出版され、日本での注目度が高まっているように思います。石川先生が興味あるトピックについて教えてください。
石川:特に海外ではフードテック系のスタートアップも多く、テクノロジーによって新しい食品がたくさん生まれています。特にスイーツ、乳製品のトピックですと、植物性の乳製品や、牛乳を使わないアイスクリームや、完全植物性の卵は実際に売られています。
もちろん、抵抗感や危機感をもつ人が多いのも事実。スタートアップはテクノロジーを社会実装しようと試みますが、需要との共生や、人間側の心との折り合いは簡単ではありません。研究者としては新しい可能性や技術の議論が進み、社会がより良い方向へ進んでいくことに期待したいところです。
――倫理面の議論や、食べる側の心理面でのハードルはまだまだ高いのですね。
石川:かなり距離があるのではないでしょうか。今はまだ新しいものを生み出すプレイヤーが多く、社会に実装していくフェーズはまだ少し先のようです。私個人としては新しい可能性をもった食品が登場したら、食べる人がどのような価値基準で選んでいくのか、その議論自体に関心があります。
――テクノロジーというと、不可逆な変化をもたらすイメージがあります。
石川:おっしゃるとおりです。うちの学生に「将来3Dフードプリンタでいろんなものが食べられる未来ってどう?」と聞くと「いや、私は家族の料理がいいんで」と返されることもあります(笑)。
――デジタルネイティブ世代でも、どこかで「普段どおり」の食を求めているんですね。
石川:食の価値観はいろいろです。車やスマホだと基本的に新しいほど性能が良くて、受け入れられて浸透しますが、食の場合は、必ずしも新しいものや環境に良いものが選ばれるかというと、そうではない。人の経験や価値観が選ぶときに大きく関わるので、非常に厄介かつ面白い。
――お菓子は嗜好品ですが、どのような意識の変化が起こると思いますか。
石川:お菓子はそれぞれ個人の価値観がより顕著に出るジャンルだと思います。子どもの頃の思い出、たとえば幼少期の記憶、祖母がつくってくれたケーキとか、旅先で食べた味など……。お菓子は人それぞれの価値観を広く受け入れる存在だからこそ焦点を絞るのが難しい。その一方で、食の可能性を広げてくれるのがお菓子なのだと思います。
――そもそもお菓子は嗜好品で無くても生きていけますが、どんな可能性があると思いますか。
石川:特にここ1年はコロナ対策のため多くの娯楽が奪われ、知らず知らずのうちにメンタルが疲弊した方も多いのではないでしょうか。栄養的にはあまり重要ではないですが、心の栄養という点ではお菓子はやっぱり必要なもの。
心を満たすために何のお菓子を選ぶのか?ヴィーガンのものなのか、代替乳製品で作ったものか、昔ながらの製法がいいという人もいるでしょう。
お菓子の最大限の貢献は、メンタル面への栄養ではないでしょうか。その点において、どんなにフードテックが浸透して、技術的に個性的なものやおいしい代替乳製品ができたとしても、昔ながらのお菓子は残っていくはずです。
小見出し:食の進化史におけるお菓子の存在
石川:生物の進化と同じで、新しいものが必ずしも進化史に残るとは限りません。
――生物の進化ですか。
石川:進化は必ずしも発展を意味するわけではなくて、環境に適したものが生き延びてきた歴史です。例えば、地方の伝統料理はだんだん作れる人が減っていたり、多忙な人が増えたことで工数のかかる料理も同じ未来を辿っていくのではないでしょうか。
――料理が後世に残るかは社会背景などの環境要因もあるのですね。ちなみに舌が肥えるというのは要因になりえますか?
石川:当然あると思います。世の中に残っているものはほとんどおいしいですよね。逆にマズイもの見つけると私はちょっと嬉しくなる。これも環境適応したものが残っているのと同じではないでしょうか。
――先程料理の話題がでました。家庭やレストランも含め、料理や食品にはどんな変化が訪れていますか。
石川:昔にくらべて食材の特異性がなくなっていると感じます。特異点となった発明がいくつかあって、例えば冷蔵庫が発明されたことで保存が効くようになりました。今では世界中の食材が手に入るだけでなく、調理器具も目覚ましい進化を遂げています。
例えば低温調理など、これまで家庭では難しかった料理が家庭でもできるようになりました。他にもエスプーマなど、専門知識がなくても多くのひとが再現できる料理のバリエーションは増えています。
――極端ですが、料理や食品の差別化がだんだんと難しくなっていくのかもしれませんね。
石川:これからの可能性を考えるときに料理=食材×調理法×思想という図式を紹介しています。同じ食材、同じ調理法、スキルなど条件が同じだったら、最後は作る人の発想が価値になる時代が近づいていると思います。
――食材や調理方の均質化によって、思想が価値に響くようになるのですね。
石川:そうですね。
――もうすこし遠い未来について、石川先生の展望をお聞かせください。
石川:私が未来について考えるとき「宿命の未来」と「願望の未来」を引用します。これはイギリスの科学啓蒙者のジョン・デスモンド・バナールが自著で書いた言葉です。ひとつは宿命の未来、たとえば2050年に海面が何センチ上がる、地球温暖化といった避けられない未来。そして、変えることもできる願望の未来があるといいます。
――願望ですか?
石川:後者は人々の願望によって未来がかわること、つまり食の未来にもビジョンが価値になるのではないかと考えています。
――食材や調理法の均質化が進み、お菓子においても似たような「こだわりのストーリー」が溢れています。ストーリーは過去から現在、思想は未来に向かっていくベクトルと受け取ってもよいのでしょうか。
石川:よい視点ですね。
――ユートピアアグリカルチャーでは環境課題や畜産の未来にむけて、お菓子を通してプロジェクトに取り組んでいます。こうしたビジョンを持つことを後押しされたようで、とても嬉しいです。
石川:長沼さん(代表)の新しいプロジェクトを知ったときは、王道を選ばれたという印象が大きかったです。世の中的にも環境問題や持続可能性の意識がますます強くなり、畜産を減らしていこうとする声は大きくなりつつあります。そこで、放牧酪農を運営しながらカーボンゼロの循環を研究されたり、土壌の再生にも着目されていますね。
――何十年とかかる研究ではありますが、再生循環型の酪農にとりくみながら、畜産業のあり方を模索しています。
石川:畜産を新しい価値観で追求すること自体に新しさを感じます。お菓子も畜産も、長沼さんがビジョンをもちながら事業としてアプローチしているところが価値になると思います。
――ありがとうございます。放牧乳や平飼いの卵を使ったお菓子を通して、環境課題などに興味を持ってもらえる機会になるのかなと。また、お菓子を買っていただくことで、畜産業や地球環境の未来を一緒につくっていただけると嬉しいです。