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料理の未来のはなし

変わりゆく街の変わらぬ料理

店を継いでから、1年が経った。この街で、祖父が郷土料理の店を始めたのは、30年前のことだ。あの頃から店の雰囲気はほとんど変わっていない。今も昔も、風情のある懐かしい郷土料理屋といった店構えだ。

一方で、周囲の環境は大きく変わった。銀杏の長い並木道は無くなり、南国の植物がぽつぽつ植えられた。季節ごとの急激な天候の変化に対応できるように、頑丈そうな建物が増えた。地球温暖化による平均気温の上昇や、降水量の激増が原因だ。

30年前、この地域は穏やかな気候の丘陵地帯に畑が広がり、海流がぶつかり合う恵まれた漁場を臨む、おいしい食材の宝庫だった。特に、柑橘類と白身魚で作る郷土料理は有名で、専門店も数え切れないほどあった。年月が経ち、温暖化の影響でその柑橘類は栽培が難しくなったため、丘陵地帯の畑は姿を消していった。最近は、温度管理を徹底した室内栽培で、ブランド果実として育てている農家が数件だけあるようだ。魚の漁場も変わってしまって、郷土料理に使われている品種の魚がこのあたりで捕れることはほとんどないという。

現在、この店で使う食材は柑橘類も魚もすべて、緯度の高い海外の国から取り寄せている。作り方は先代の調理技をプログラミングして、機械による精密な作業で、正確に伝統の味を再現している。

和やかな店の雰囲気も、郷土料理の味も、祖父が築いてきたものと変わりはない。ただ、食材の輸入価格が上がり続けているため、また料理の値段を引き上げなければならない。一食分の金額が上がりすぎて、この店はもう高級料理店の部類に入ってしまうだろう。

自分が引退するころには、この郷土料理の食材が、地球上で手に入れられなくなっているかもしれない。そもそも郷土の味とは何だろうかと、考え込むこともある。けれども、自分はこの伝統の料理を、何があっても守っていきたい。

 

 

料理の現在

上記のような風景の変化は、世界中のあらゆるところで現在進行系で起こっていることだろう。ワインの世界には「テロワール」という言葉があるが、これは畑の特徴によってブドウの味わいや品質に大きな違いが生まれることを意味している。つまり、その土地の個性が地域や国の豊かな食の多様性を醸成してきたとも言える。この土地にはこの料理、この国にはこの料理といった人々の考えが、食の分野では特に根強くある。

従来、その土地で手に入ったものから名物料理や郷土料理が生まれてきたが、温暖化などによる地球規模での環境変動によって、以前は採れていたが次第に採れなくなってきたものも多い。しかし、時代を経ても一番変わらないのは私達の料理への固定観念なのではないだろうか。さらに、料理と土地の結びつきだけでなく、この食材にはこの料理、この料理にはこの調理法といった固定観念も存在する。これは人類が約100万年前から火を覚え、調理をするようになってきてからずっと肉や小麦粉の焼き目のおいしさが忘れられないように、人類に刻まれた食の記憶のせいなのかもしれない。

人間は、植物、動物、菌類など、広範囲の食材を食べるが、何でも食べているわけではない。世の中に存在する食べることができるものの中で、実際に食べているものはごく一部である。栄養学的にみれば、人にとって消化・吸収・代謝されないもの、さらに腸内細菌などにも利用されないようなもの、たとえば金属の塊などは、当然口には入れない。私たちがその金属の塊をなぜ食べないのかは、生物学的な理由で説明できる。

一方で、人間が食べられるのに食べないものの多くは、生物学的な観点からは説明できないものばかりである。また、ある社会では食べものと見なされず、忌み嫌われているものが、別の場所では食べられ、ときには贅沢な食べものとして崇められている場合もある。食べる・食べないの選択の理由として、牛乳の乳糖不耐症のように遺伝的な理由で説明できるのは、少数である。

ある食べものを食べるのは、その食べものが入手しやすいからでも、身体に良いからでも、健康に良いからでも、おいしいからでもない可能性がある。人は、ほとんど非実用的、非合理性、無益としか思えない、不可解な食べものの取捨選択をする場合が実は少なくない。

私たちは、人類の食文化、また個人の食体験といったある種の“文脈”のもとで食べものを選んで食べている。「人の食べものの選択がなぜ起こるのか」を理解するのはとても難しいが、なぜ鶏肉を食べてネコ肉を食べないのかなどを知ろうとすれば、その背景にある食文化や食習慣、さらに個人や社会の「食への意識」が見えてくる。

たとえば、昆虫食の普及には、これまで昆虫を食べて来なかった人々が、昆虫食への意識を変えることができるかが大きなポイントである。現在、昆虫は、地球規模でのタンパク質不足を補うための代替源として注目されている。「昆虫食が、地球の持続可能性の切り札になるのではないか」という合意が次第に形成されつつあり、人々の持続可能性、環境負荷低減に関する意識、考えが、昆虫食を手に取らせ、これまでの食文化や食習慣をひょっとしたら少しずつ変えていくかもしれない。

私たちが普段食べている料理は、時代や場所、環境などによって、食材、調理法が変わり、変化してきた。現代を見ると、食材は、グローバル化によって世界中の珍しいものが世界の主要な都市などでは入手できるようになるとともに、テクノロジーの進化によって、たとえば培養肉というような新しい食が次々と生まれている。

何を食べ、何を食べないのか。その基準は個人によって大きく異なるどころか、同じ人物であっても時と場所によって、いとも簡単に変化する。また、環境変動は、食材となる植物の栽培最適地や魚の漁場などをドラスティックに変えていくだろう。そんな変化がいくつも重なる時代に求められる料理は、進化の過程で生き残った生物たちのように環境適応能力を持ったフレキシブルなものである可能性が高い。さらに、その前提となるのは新しい食を受け入れる人間の柔軟な考えではないだろうか。

 

変わりゆく街の変わりゆく料理

故郷に戻り、祖父の料理店を引き継いでから1年になる。店の周りの風景は、30年前、この店ができた時に比べて大きく変わった。それは、街の開発や衰退などの人為的な変化よりもさらに広いものだ。温暖化によって、天気や植生などの自然環境までもが変わったのだ。他の地域と同じように、この場所も気温上昇の影響を受け、昔はよく採れていた野菜や魚が採れなくなった。それに伴って、この地域の郷土料理を出す店の多くが閉業した。

そんな中、自分の店は30年前と変わらず、郷土料理を提供して続けている。ただ、創業当時と違うことと言えば、使っている食材の内容だ。今、郷土料理に使っている食材は、30年前のものとも10年前のものとも違う。

30年前、この地域で豊富に採れた柑橘類や白身の魚は、10年前にはあまり採れなくなった。その時、先代はこの地域で収穫が多かった食材を代わりに使い、郷土料理の方法で料理を作った。始めは違和感を覚えていた常連の人もいたが、その料理は次第に馴染んでいった。来てくれる人も離れていった人もいるが、今日まで客足は途絶えていない。自分が店を継いだ時には、10年前から使っていた食材の収穫が、この地域ではあと数年で不可能になる予測データが出た。祖父の考え方を習った自分は、食材の内容を大きく変えることに躊躇はなかった。料理を作るために、今ここで何が得られるのかが重要だからだ。現在、厨房での調理作業は、大部分を自動システム化しているが、新しく使えそうな食材のデータを常に収集しつつ、料理人の舌でこの地域特有の郷土料理の最適解を探っている。

暮らしている土地の環境が変われば、そのときに得られる最適なものでおいしい料理を作る。これが、今、自分がいる“郷土”の料理なのではないだろうか。窓からの景色や気候がどんなに変わっても、店の落ち着いた佇まいは変わらない。この店の雰囲気を、自分も受け継いでいきたいと思う。

 

筆者

【石川 伸一さん】

専門は分子調理学、関心は食の未来学。「食」をサイエンス、アート、デザイン、エンジニアリングとクロスさせて研究。著書に、分子調理の日本食、「食べること」の進化史、料理と科学のおいしい出会い、監修本に、食の科学~美食を求める人類の旅、 フードペアリング大全 など。

略歴:東北大学農学部卒業。東北大学大学院農学研究科修了。日本学術振興会特別研究員、北里大学助手・講師、カナダ・ゲルフ大学客員研究員(日本学術振興会海外特別研究員)などを経て、宮城大学食産業学群教授。

 

【石川 繭子さん】

イラスト・文章・動画の制作、ワークショップ企画などをおこなう。過去にはバイオテクノロジー系の研究をしていたが、現在は「ひとさじのかがく舎」で食と科学についての活動に取り組む。食に関する生物学、哲学、文化人類学など文理の境なく興味がある。